農林水産ダイバーシティ連盟は、都会で働きながら農業事務を支援、あるいは地方で農家をやりながら企業のテレワークをするなどの様々な柔軟な働き方で活躍する人たちのことを、「テレノーカー」と名付け、活躍をサポートしています。
この記事では、「テレノーカー」に焦点を当て、その生活や仕事スタイルをご紹介します。
今回はアナウンサーの坂口愛美さんにお話を伺いました。坂口さんは東京でアナウンサーのお仕事をしながら、遠く離れた愛媛県泉谷の棚田のオーナーでもあり、テレノーカーとして活躍しています。
坂口さんの農業との関わり方やライフスタイルを通じて、兼業や農業への興味を持つ人々に向けたヒントを探りたいと思います。
坂口さんがテレノーカーになったきっかけ
荻間(インタビュアー):
普段のお仕事と、どのようなかたちで農業に関わっているかお聞かせいただけますでしょうか。
坂口さん:
普段はラジオ局でアナウンサーをしています。もう一方では、愛媛県の泉谷という場所の田んぼのオーナー制度を利用して、農業に関わっています。
荻間:
棚田のオーナーを始められたきっかけを教えていただけますでしょうか?
坂口さん:
ラジオ局で働く前は愛媛県のテレビ局でアナウンサーをしていました。そのテレビ局で2016年に行われた番組企画がオーナーを始めたきっかけです。
愛媛県内子町に「泉谷の棚田」という場所があり、景色が綺麗で、日本の棚田百選にも選ばれる場所です。その場所で高齢のご夫婦が稲作をされており、オーナー制度をやっていました。アナウンサーみんなが交代で農作業に参加する内容だったため、一人ずつ異なる時期に棚田に行って作業していました。
例えば1人が田植えをして、また別の人が別の時期に稲刈りをして、一人ずつ違う農作業を分担して、最後にその田んぼで取れたお米で作ったおにぎりをみんなで食べる企画でした。
荻間:
初めて棚田に行った時はどんな印象でしたか?
坂口さん:
私は稲刈りが担当で、その時に初めて棚田を見て、景色の美しさに感動しました。
先輩や後輩のアナウンサーが作業しているのをVTRで見ていましたが、現地に行くとより一層鮮明に感じられました。
田植えした時は田んぼに水が張られ、田んぼに夕日が映る景色も綺麗ですが、稲刈りの時は田んぼ一面が黄金色に輝く景色に感動しました。棚田の美しい景色とお父さんお母さんの優しさに包まれながら作業することで、心が癒されました。
お母さんが「農家のおやつはゆで卵なんだよ」って教えてくれて、卵は栄養もしっかり取れ、卵の殻を田んぼに捨てても肥料になるので、農作業をする時はゆで卵をいっぱい作るんだよって、大変な作業の中でも優しく色々なことを教えてくださったのが印象的でした。
自分たちで作ったお米も美味しかったですが、棚田のお母さんとお父さんのお人柄が素敵で、番組に参加したみんなで楽しかったねって言っていました。
荻間:
番組の企画が終えられた後もオーナー制度を続けられたのですか?
坂口さん:
番組の企画は無事終了し、その後も個人的に続けたいと思い、番組のディレクターさんやスタッフさんの何人かで引き続き田んぼを借りさせてもらいました。
普段の作業はお父さんとお母さんに行ってもらいましたが、私たちは土日を利用して泊まりがけで作業していました。
泉谷の棚田は第二の故郷
坂口さん:
2020年に勤めていたテレビ局を辞めて東京のラジオ局へ転職しました。
愛媛から離れてしまうので、行く回数は減ってしまいますが、田植えとか稲刈りなどの時は帰ってくるからと約束して、愛媛に残っているスタッフさん達と引き続き棚田を一緒に借りさせてもらいました。
お父さんお母さんは「いつでも帰ってきて良いからからね」と笑顔で送り出してくださいました。しかし、そこからコロナ禍になってしまい、なかなか愛媛に帰れない状況が続きました。そのような状況でもお父さん、お母さんは「あみの田んぼ」という看板を立ててくださり、そこでとれたお米を送ってくださっていました。
泉谷の棚田は私にとって第二の故郷なので帰れないのが非常にもどかしかったですが、今年の5月にようやく帰れました。
お父さんとお母さんの背中が前より少しだけ小さく感じることもありましたが、地域に新しい命が誕生するといった嬉しい変化もあり、自分にとってかけがいのない場所と改めて実感しました。
荻間:
テレノーカーになってから(棚田のオーナーを始めてから)、日々の生活に変化はありましたか?
坂口さん:
ご飯1杯分を作るのでもすごく大変だと実感したので、お米1粒1粒を大切に食べています。私たちが体験させてもらっているのはお米ですが、それ以外の食べ物も人の手がかかって育てられているものであることを実感しています。とにかく棚田のお父さんお母さんが大好きなので、普段食べている食べ物はこういう人たちの思いがあるのかもしれないなと思い、食事の度に感謝しています。
お米を育てた経験はもちろん、アイガモ農法を行えたのは貴重でした。
アイガモ農法は幼いアイガモを水田に放して、雑草やカメムシなどの害虫を食べてもらう農法です。そして、稲刈りの終わった後にアイガモを占めて食べるところまでを含めてアイガモ農法と言われています。
成長したアイガモは翌年に水田に放せないので、その年のアイガモはその年のうちに占めます。名前をつけてかわいがっていたのですが、最後は泣きながら鴨肉にして食べました。
多くの命に支えられて食事ができていることを実感し、大きな経験を得ることができました。
荻間:
泉谷の棚田でも人材不足の話を聞くことはありますか?
坂口さん:
私が愛媛から参加していた時は、すべての田んぼに水が張っていたのですが、久しぶりに帰った時は水を張っている田んぼが少なくなっていました。
お父さんに話を聞いてみたら、やはり以前より田んぼを縮小して、オーナーの募集も止めていました。縮小はしていても変わらず綺麗な景色ではあるのですが、少し寂しさも感じました。
農業に関心を持つだけでも大きな一歩
荻間:
テレビの企画以前は農業と関わりが無かった坂口さんは、現在はテレノーカーとして活躍しています。農業に興味ある人、あるいは就農を考えている人に向けて、アドバイスや経験談を教えていただけると助かります。
坂口さん:
作業に参加できる回数が減ってしまっているので申し訳ないと思っていますが、それでもたまに若い人たちが来てくれるのが嬉しいって言っていただけます。
私がどこまでお父さん、お母さんの力になっているか分からないのですが、下の世代が興味を持って関わっていくのは大切だと思います。
いきなり農家になろうと決心する必要もないと思っています。
泉谷には地域おこし協力隊があります。農家になる目的で入ったわけでないですが、泉谷に関わっていくうちに、泉谷を気に入って住み田んぼも始める若い人もいました。
そのため、ガッツリ農家になるじゃなくて、まずは近所の農家さんの手伝いをするとか、家族全員で農業体験に参加して子供にも農業を体験してもらうとか、農家さんと関わる機会を増やしていくことが大切だと思います。
オーナーの1人であるディレクターさんが息子さんと一緒に作業にすることもあります。正直最初は農業に興味がなさそうでしたが、作業した後に棚田を見ながらおにぎりを美味しそうに食べて、また来たいって言っていました。農業に関わる人たちがどんどん増えていく世の中であってほしいなと思っています。
私が田植えに行った時はその様子を伝えられるように録音しましたし、稲刈りに行く時も録音する予定です。ラジオ番組を通して農業の楽しさ、素敵な場所があること、そこで頑張っている人がいることを伝えて農業に関わってみたいと思う人を増やせたらと思っています。
今回は東京でアナウンサーしながら、遠く離れた愛姫の棚田オーナーでもある坂口さんにお話を伺いました。
遠く離れた土地での活動の難しさもありますが、それ以上に棚田とそしてお父さん、お母さんの素晴らしいお人柄に惹かれ、第二の故郷として大切にされているのが伝わりました。
これからもテレノーカーとして活躍される方々にスポットを当て、様々な視点からのインタビューを通じて、その魅力と挑戦をお届けしていきます。次回の配信もお楽しみにお待ちください。